プロフィール profile
吉田 直弘 yoshida naohiro
前橋市議会議員 / 建設水道常任委員
1978年 埼玉県春日部市生まれ
昭和鉄道高校 機関科、共栄学園短期大学 英語学科 卒業
2009年 結婚を機に妻の故郷 前橋市へ移る
証券会社、埼玉県医療労働組合連合会、司法書士事務所 勤務の後、
党前橋地区常任委員
2021年2月 市議選で初当選
” 命と暮らしを守る仕事を ”
医療・介護の労働組合で15年勤務。
市民の命と尊厳を大切にする市政を目指します。
こんなに命が軽んじられていいのか!
ごあいさつ
ウェブサイトへお越しいただきありがとうございます。
私は医療·介護の労働組合での経験を活かし、「国民の命と健康を大切にする社会」を実現したいと思い政治家を志しました。
2021年、皆さまのお力で市議会へ送り出していただき、議員活動を重ねるにつれ「何より皆さまのお役に立ちたい」という思いをより一層強くしています。自分の足で歩いて、市民の声を聴いて、徹底的に調査を重ねて作り上げる議会の質問、議会活動の一つ一つに強くやりがいを感じています。
議員バッジは、市民の皆さまの瞳です。
皆さまの願いが込められたバッジの重みを感じながら、皆さまの願い実現へ向けて進み続けます。
私の政策の第一課題は、「誰もが人間らしく暮らせる社会の実現」です。
いま、コロナ禍で多くの市民が暮らしの困難に直面しています。
生活に困っている人に寄り添うあたたかい市政の実現、市民に寄り添える市政に転換します。
超高齢化の時代だからこそ、もっと福祉に手厚く、住み続けたいと思える魅力ある街づくりを皆さまと進めていきます。
例えば、学校給食費の無料化など子育て施策の充実、特養老人ホームの増設で高齢者福祉の充実など、福祉の充実は不可欠です。
感染症が広がるなかでも、子どもたちが安心して学べる環境づくりは急務です。
少人数学級を進め、子どもたちが活きいきと成長できる環境整備を進めます。
中小業者などへの産業支援や農業支援を充実させます。
「起業にも就農にもチャレンジしたい」と思っていただける前橋市にするため、皆さまと力を合わせていきます。
結婚を機にやってきた前橋市は、水と空気がおいしく、赤城や榛名、浅間山など風光明媚な景色を一年中楽しめる大好きな街です。
かつて東国の中心地として栄えた様子を今に伝える総社古墳群や大室古墳群、山王廃寺など、歴史や文化を大切にする風土は前橋の大きな魅力です。
国連が提唱している「SDGs」をご存知でしょうか。
SDGsとは「持続可能な社会のための開発目標」であり、「地球上の誰一人取り残さない」 ことを誓っています。
私は、理念が一致するSDGsの視点で政策を具体化しました。
いつまでも住み続けたい街・前橋へ、街づくりの主人公である市民の皆さまと力を合わせて進んでまいります。
略 歴 biography
1978年 埼玉県春日部市生まれ
新幹線が大好き!
鉄道会社で働くことを夢見ていました。
中学生の時は、青春18切符で全国を旅しました。
1997年 昭和鉄道高校機関科 卒
新幹線運転手に憧れて同校へ進学。
思い出深いのは、切符切りとホーム整理の
アルバイトをしたことです。
1999年 共栄学園短大英語学科 卒
国際経済に興味を持つ。
卒業旅行はニューヨークへ行き、
証券取引所やワールドトレードセンタービルを見学。
自由とグローバルな雰囲気を味わえるニューヨークは、
一度は暮らしてみたい街です。
1999年 証券会社 入社
きっかけは映画「ウォール街」、
主演俳優に憧れて証券会社に就職。
証券外務員1種資格を取得。
お客さんとの市況解説や株式談義が好きでした。
1999年 日本共産党に入党
平和活動の仲間を求めて共産党へ入党。
このころ日本民主青年同盟、日本平和委員会に入会し活動を始める。
2000年 埼玉県医療労働組合連合会 勤務
(現 埼玉県医療・介護労働組合連合会)
しんぶん赤旗の求人広告で転職。
労働相談や組合作り、
青年部運動を通して「安全・安心の医療」の実現、
医療・介護で働く人たちの賃金・労働条件の向上、
ハラスメント実態調査を行い、
看護増員や夜勤の負担軽減などの運動に取り組む。
2009年 結婚
医労連の青年部行事で、群馬から参加していた妻と知り合う。
1年の交際を経て結婚、住居を妻の故郷・前橋に移す。
市内には古墳や歴史資料館などもたくさんあり、歴史好きの私には最高です。
Jリーグ、ザスパクサツ群馬を熱烈に応援しています。
2015年 司法書士法人で勤務
2016年 日本共産党前橋地区委員会 勤務
2020年 前橋市議補欠選挙に立候補
2021年 前橋市議選挙に立候補し、初当選
初めて付けた議員バッジは、市民の願い、一票一票の思いが込められた「市民の瞳」だと思いました。
市民の思いを大切に、自分の足で歩き感じ、日々奮闘中。
建設水道常任委員。
17歳
1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件をきっかけに政治・社会に関心を持つように。
なぜ米軍が日本にいて日本で犯罪を犯すのか、高校生の私には信じられませんでした。そして、日米安保の実態を知り、安保条約をなくし、基地のない平和な国にしたいと思うようになりました。
19歳
ネットで募った仲間と沖縄へ平和ツアーを行いました。
米軍基地がいくつもある沖縄の実態、沖縄戦や「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われた人の話を実際に聞き、もっと世の中の問題を知りたいと思うようになりました。ネットで集会の情報を得ては日比谷に出かける中で、共産党の存在も知りました。
多くの国を一人旅し、戦争や平和について学びました。
特に韓国や中国ではいろいろな人と出会い、植民地支配など過去の歴史に正面から向き合い、これらの国々の人々と仲良くしたいと思うようになりました。
その後も戦争遺跡や遺跡、現地の人との交流を求めて海外へ。
これまで13カ国を巡りました。
グルジア(現ジョージア)では、アブハジア紛争の影響でソ連時代の高級観光ホテルが難民キャンプと化している様子には衝撃を受けました。わずか20ドルの賄賂を求め、顔に銃を突き付けられた恐怖は忘れられません。
戦争は、腐敗と貧困、恨みの連鎖を生むものだと痛感しました。
21歳
証券会社はやりがいはありました。
しかし、早朝から深夜まで働く激務。
ある日、過酷なノルマで働く先輩が倒れる出来事が・・
ブラック企業をなくしたいと思うようになったきっかけです。
21歳
私がもっとも大切にしている政治信条は平和です。
戦前から一貫して反戦平和を貫いて、過去の植民地支配にも反対し、権力の弾圧にも負けずに頑張ってきた党の姿勢がかっこいいと思い、共産党の人たちと活動していきたいと思うようになり入党しました。
22歳〜37歳
医療介護の労働組合である埼玉医労連で15年間勤務しました。
看護師増員や介護労働者の賃金・処遇向上など、働く者の地位向上や労働条件改善に取り組んできました。
医療や介護の現場では、深刻な人手不足が最大の問題です。
夜勤で体を壊し職場を去る人、低賃金で働く介護職員が生活のために転職をしていく姿を見て、医療や介護・福祉に手厚い政治に変えなければいけないという思いを抱きました。
更に保育士や福祉現場で働く人たちの異常に低い賃金も深刻です。
国民の命と暮らしを守るため、医労連での経験をしっかり生かして市政に向き合います。